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蜘蛛の巣の写真集

ハレの日のケ、ケの日のハレ

猫に未来はない(2015)

5.25
 下町。人通りの多くない大通り。小さなドアの小さなバー。マスターは静かにそこにいて、客が話したい時にだけ話を聞き、話してほしい時にだけ話してくれる。私たちは食事はもう済ませていて、カクテルの名前なんて知らないから甘くないのくださいなんて粋じゃない注文しかできなくて、でもここではそれが許されるのだった。昼間観た絵や最近読んだ本の話をしていたら、マスターが言った。「猫は良いですよ。あいつら未来なんて概念ないんだから、あるのは今だけ」
 あ、『猫に未来はない』だ、と思った。たしか若い夫婦と猫のエッセイみたいな小説。猫の脳の構造からすると猫には未来というものを考える機能はないって出てきた。でも私はマスターにそれを言わなかった。私は『猫に未来はない』が猫の生を軽んじてるようで嫌だったから…そして亡くなったばかりの作家を批判したくもなかった、ほとんど初めての店だったし。私はただ「猫は、よいですね」と答えた。その題名の意味するものは好きだ。幼い頃から一緒に暮らした歴代の猫を思い浮かべる。今の心地好さに従順な生の寝顔を思い出す。

 猫に未来という概念はない。人間には未来という概念が、ある。日本の未来のこと、自分の老後のこと、明日の仕事のことを考えて、未来なんてなくて今だけだったらどんなによいだろうと思う。今あるのは今だけなのに、人間の脳ミソでは過去や未来に今が埋もれてしまう。

 数日後、若年性アルツハイマーの映画の広告を見て思った。猫って、飼い主も気づかずにうまい具合にボケてる場合もあるのではないだろうか。未来がないなら多少ボケても問題なさそうだ。
 痴呆症で、脳の中から記憶が減って世界の密度が低く脆くなると、記憶に残ったパーツを組み立て直して新しく世界を作るのらしい。その結果、傍目には奇妙な言動になる。けれどその人にはそれが統合性ある世界なのだ。

 酒屋の店先…店先にビールケースが並べられていてそれを椅子にしてその場でお酒が飲める店が近所に何軒かあるのだけど、早朝、それに腰掛けて井戸端会議しているおばあちゃんたちがいた。
 杖を持ったおばあちゃん…75才くらいだろうか…が悲しそうに「私このあいだ迷子になっちゃったの」と言う。突き飛ばすようにもう少し若いおばあちゃんが「だれかが見つけてくれるわよ!」と言った。強いなと思った。
 高年齢化が進んでいる。それはしばしば暗い未来として語られるけれど、老いを共有できる他人がたくさんいるということはとても明るいことだと思う。「だれかが見つけてくれるわよ!」と言えること、実感を込めて言ってくれる人がいること。私はあまり長生きせず猫のように人目を避けて消えたいと思っているけど、そう思った。