蜘蛛の巣の写真集

ハレの日のケ、ケの日のハレ

下町人情(2013)

7.5

冷蔵庫の自炊料理を温め返す気力もない。この町に越してきて初めてチェーン店の弁当屋で夕飯を買う。

白髪短髪ハスキーボイスの店員さん、細身でさっくりそっけない。注文して弁当が詰められるのを待つ。前もって割り箸いりませんと言う。あら今言われても忘れちゃうかも。あー言い忘れないようにって急いちゃって。割り箸いらないのよね…あー入れそうになっちゃったほらね。ふふ。ふ。

下町・人情のまち、なんて紋切り型に言う気はないけれど、マニュアルでない言葉や表情に少し元気づけられる。

初めて入った酒屋さんで煉瓦みたいに四角くまとめられた酒粕を買ったらレジでおずおず「ご存知かもしれませんが、残った分は冷凍して保存できますよ」と言われた。丁寧な言葉選びだ。少し私が笑うとあちらも笑う。
前に住んでいた町では土鍋を買って会計終わって店を出る背中に向かって「…底濡らしたら…割れるわよ!」と声をかけられた。ハッと思い出したように。土鍋つかうたびに思い出してしまう。知識とは別、あれは呪いを植え付けられたと思う。
ある八百屋はやたらオマケしてくれる。春菊もモヤシもミツバもしいたけも「お浸しにするとおいしいよ」「佃煮にしなよ」と言って3つずつ売ろうとする。既に傷んでいることには触れずに。
数年前古びた店でレトログッズを物色していたらそういうのは迷惑だと言われた。その時は怯えて謝ってすぐに店を出てしまい、一年後再訪した。商品を買うと決めて手に持っていれば店の人との会話もスムーズだった。なにも買わずにレトロ探しして出ていく客がそれだけ多いということだったのだろう。そのあともう一度行ったときにはサービスまでしてもらった。

人情っていう言葉って、見返りを求めない優しさ、まんべんない親しみ、みたいに使われるけど(語彙不足)、違う。人の情て、もっと人間くさい、性格とか相性とか、気分とか、値踏みとか計算とか、時間経過、いろいろ含まれているから面白いんだよなーと思う。
そこに生の人間の生活がある。態度は本来のとおり感情と連動している。
張り付いた笑顔の店員とケンカ腰な店員しかいない店。こっちの服装によって態度を変えた店。いらっしゃいませの前に叱るように店のルールを宣った店。わっもう来ない!と思ったけど、その日たまたまだったのかもしれない。何回か通ってお互いの心の扉が開いたら、そこが私の居場所になる可能性だってある。
店員と客としての会話の積み重ねから少しずつお互いのことが分かっていく。“暮らす”ことの醍醐味だと思う。

楽しむと楽しい

友人とフリマ的なイベントに行った。時間も体力も限りがあるので好みと違うところはスルーし気味でサクサク見てまわる。
別行動をとったり一緒に見たり自由にまわっていて、この人悪口言わないな、とても良いなと思った。私が好きじゃない物の傾向を口にすると彼女はそれに軽く同意して好きな傾向とその理由を言った。マイナスを否定せずのプラスへの移行。後味がよい。

途中で外で休憩して、結局3周は見た。彼女は気になった店気に入った店でよく会話する人で、質問して、感動を伝えて、次の出店を聞いて(そもそもこのイベントもそうやって知ったのらしい)、ありがとうと言って立ち去る。
一周め私一人で見て「この店の人いちいち話しかけてくるな…」と思った店(私は話しかけられるのが苦手)。彼女と再び行って彼女と店の人の会話聞いてると楽しい。ウワー!と思う。
無表情で商品触るだけの客に話しかける、店の人の勇気をいまさら思う。興味持って質問されたら店の人も楽しいんだなそりゃそうだよなと自分の態度を省みた。自分もそうできる日はあるんだけど。楽しさの差があまりに歴然だった。
イベントを、人生を楽しくするのは自分なのだ。彼女の如く常にありたい…。たぶん彼女は前世で解脱したんだろうなと思うんだけど。

七歳(2007年)

f:id:nahoshitsu:20210210185205j:plain美術展の薄暗い絵本上映室での話。 

 
上映室にはふた家族分のおこさまと私の6人。四歳前後のチビッコ4人と、七歳くらいの女の子。母親たちは「泣かないのよ」と言い残し外で待機。
 
導入部、絵本をめくる映像。ゆるい音楽…素朴な楽器の音とこどもの声…a・・a・・a・・a・・・まざりあう。
 
それに共鳴してチビッコたちがァーーーー…小さく長く声を響かせる。
 
ピーター・シスのアニメでクスクス笑いが止まらないチビッコたち。暗いしちょっと怖い内容なのだけど、チビッコたちはおかしくてたまらない様子で、くすぐったい声が転がってはねかえって気持ち良い。 
 
そんななか、七歳くらいのお姉ちゃんが、きちんとした良い子、だった。小さな声で「しずかにして」って、ひとりおとなだっだ。良いんだよ、あなたも一緒に遊びなよ、って思った。ここはそういう場所だから良いんだよ、一緒に笑いな。限界が来たのだろう、途中でお母さんを呼びに退室した。その時も「前すみません」と小さい身体を小さくしていて泣けた。 
 
こんな小さい子に子守させるのは酷だよーって思ったけど、それも教育かな。お母さんたちはあのお姉ちゃんをだきしめて誉めてあげて欲しい。お母さんたちが来てからはチビッコたちも大人しくなっちゃって、ちょっとつまらなかった。おとなって邪魔。私がいなければお姉ちゃんも自由でいられたのかもしれない、やっぱりおとなって邪魔…。 
 
それで思ったのが、絵本が相手にしてるのって、この自由な小さい人たちだってことだ。そしてこのお姉ちゃん。絵本は、このお姉ちゃんが、自由なチビッコに戻れる場所になれるかもしれない。 
 
「絵本はこどものもの」っていうの聞くたび憤りを感じるけど、絵本はそうやって、大人からこどもを守っているのかもしれない。

猫に未来はない(2015)

5.25
 下町。人通りの多くない大通り。小さなドアの小さなバー。マスターは静かにそこにいて、客が話したい時にだけ話を聞き、話してほしい時にだけ話してくれる。私たちは食事はもう済ませていて、カクテルの名前なんて知らないから甘くないのくださいなんて粋じゃない注文しかできなくて、でもここではそれが許されるのだった。昼間観た絵や最近読んだ本の話をしていたら、マスターが言った。「猫は良いですよ。あいつら未来なんて概念ないんだから、あるのは今だけ」
 あ、『猫に未来はない』だ、と思った。たしか若い夫婦と猫のエッセイみたいな小説。猫の脳の構造からすると猫には未来というものを考える機能はないって出てきた。でも私はマスターにそれを言わなかった。私は『猫に未来はない』が猫の生を軽んじてるようで嫌だったから…そして亡くなったばかりの作家を批判したくもなかった、ほとんど初めての店だったし。私はただ「猫は、よいですね」と答えた。その題名の意味するものは好きだ。幼い頃から一緒に暮らした歴代の猫を思い浮かべる。今の心地好さに従順な生の寝顔を思い出す。

 猫に未来という概念はない。人間には未来という概念が、ある。日本の未来のこと、自分の老後のこと、明日の仕事のことを考えて、未来なんてなくて今だけだったらどんなによいだろうと思う。今あるのは今だけなのに、人間の脳ミソでは過去や未来に今が埋もれてしまう。

 数日後、若年性アルツハイマーの映画の広告を見て思った。猫って、飼い主も気づかずにうまい具合にボケてる場合もあるのではないだろうか。未来がないなら多少ボケても問題なさそうだ。
 痴呆症で、脳の中から記憶が減って世界の密度が低く脆くなると、記憶に残ったパーツを組み立て直して新しく世界を作るのらしい。その結果、傍目には奇妙な言動になる。けれどその人にはそれが統合性ある世界なのだ。

 酒屋の店先…店先にビールケースが並べられていてそれを椅子にしてその場でお酒が飲める店が近所に何軒かあるのだけど、早朝、それに腰掛けて井戸端会議しているおばあちゃんたちがいた。
 杖を持ったおばあちゃん…75才くらいだろうか…が悲しそうに「私このあいだ迷子になっちゃったの」と言う。突き飛ばすようにもう少し若いおばあちゃんが「だれかが見つけてくれるわよ!」と言った。強いなと思った。
 高年齢化が進んでいる。それはしばしば暗い未来として語られるけれど、老いを共有できる他人がたくさんいるということはとても明るいことだと思う。「だれかが見つけてくれるわよ!」と言えること、実感を込めて言ってくれる人がいること。私はあまり長生きせず猫のように人目を避けて消えたいと思っているけど、そう思った。

喫茶チロル(2008)

●7.15
昨日の昼食は、喫茶チロルにてツナサンドとコロンビア。
初めて入った店でした。古い店。違う街に来たみたい。観光地の裏道のよな。プライベートな空気。
 
初老の女性二人が店を回している。
 
年嵩の婦人は凛として笑わない。
まぁもう一人も笑わない、マイペース。
 
注文を受けてから豆がひかれる。
ツナサンドはパリパリレタス。
爪楊枝で止めてある。
 
コーヒーとサンドイッチを出し終わると凛さんは二階へ行ってしまった。
 
 
六十くらいの短パン紳士が訪れる。
マイさん「今二階に行ったばかりよ」
パンさん「良いよ。待つよ。」
お目当てはコーヒーではなく凛さん、ということなのか、それともコーヒーをいれられるのは凛さんのみということなのか、注文せずパンさんはカウンターに座る。
 
 
この時、私は何かの本で読んだ良い女の条件についての記述をおぼろげに思い出す。『待たせるだけの魅力があるということと、もうひとつ、待たせることを申し訳なく思わないこと。待たせていると思わないこと。』とかなんとか。待って待って、その女(ヒト)が自分のところに来なくても、男はそれで良いのですって。もっと美しく言い当て言い表した言葉だったのだが忘れた。
 
 
凛さんにはそんな空気があったのです。
つまり良い女だったんだな。
 
 
凛さん二階から戻らないまま、私丁寧にツナサンドを食べ終わる。
 
 
帰り道、お腹がチクつく。
 
臍の下に力を入れる。シャンとしようと思う。
 
 
●9.8

となり七十かそこらの紳士二人連れ、一人が

「男にしたらブスよ」
「女も男もいっしょよ」
「笑顔がないもの」
「笑顔がないものブスよ、好感が持てないよね」
と話している
 
豆を挽く音
 
チーズトーストとブラジル
 
 
客同士が挨拶をする
そしてあとから来たご婦人交えてスポーツ談義
旅行
アイスコーヒー
 
 
凜さんとマイさんは相変わらず笑わずに黙々と働いている
 
 
凜さんに
大黒屋さんから電話
 
 
マイさんは可愛い系
凜さんは綺麗系
 
 
 
●11.4
ミックスサンドとアイスコーヒー
 
コースター…ガチャピン…?
 
 
 
今日はいつもと違う席にしたので
カウンターの中で働いている凜さんは見えませんでした
他のお客さんの話声も観葉植物に遮られて届きません(店内の不揃いな植物たちはもちろん作り物ではなく生きています)
そのかわりに店に流れる曲を愉しめました
パローレパロレパローレ言ってたかなぁ
パレーラだったかなぁ(アホ)
たぶん有名な曲
 
 
店の奥にピアノがありました
たとえば土曜日の夕方に凜さんが弾くのかもしれない
意外と舞さんかな
舞さんはその名の通り(私が付けたのだけど)踊るのかもしれない
 
 
以前スポーツ談義していた面々は少し面子を変えて同じ席にいました
私も誰かの指定席に座ってしまったのかもしれません(たとえばピアノの横の小さなテーブルに座った紳士)
 
 
凜さんのいつも綺麗に結われた髪と白いシャツ、黒いチョッキに黒いパンツ
舞さんの短めのオカッパにピンで留められた前髪、カジュアルなシャツ・パンツ(今日はGパンでした)
 
おそらく若い頃は適度に流行を取り入れたおしゃれさんで
今もおしゃれさんなのですけど
長く生きると時代を"自分"が追い越す瞬間が来るのだろう、と、確信めいて思いました
 
 
ほかのお客さんの話の内容は聞こえないけれど、届くのは彼女も客商売しているであろう風情のご婦人のしゃがれた声
BGMと馴染みます
 
 
凜さんが唐突に「おつかいに行かせて」とエプロンを外し店を出て行きました
「社長さんいるのにすみませんけど」と言いながら
 
スポーツ談義のとなりのテーブルの紳士が社長さんらしい
自分の地位を素直に誇って見せる彼を、凜さんはなんて上手に撫でるのでしょう
凜さんはそんな時も媚びず凜としています
 
凜さんがいなくなると舞さんは一層せわしなくてんてこ舞い
扉を開け閉め皿を下げ洗いお勘定
 
今度は一時までのランチメニューをいただきましょう
 
 
 
 

生きるということ(2007)

2.10

 
過去スーパーレジのバイトで感じた、生きるということ。
 
80過ぎのおばあちゃん、特価のティッシュお1人様2点までを両脇に抱えて。(これからの人生どんだけ鼻かむつもり?)
 
腰の曲がったおばあちゃん、特価の米を買い貯め 。(生きる気満々だなー)
 
閉店1分前に息を切らせて「10パーセント引きって今日までだったわよね!」と1000円の自転車のベルを買いに走るおばちゃん。(すごく嬉しそう)
 
つめ放題ははみ出してても気にしない。(たくましい…)
 
バイト始めたばかりのころは、みんな、そんなに食うの?って、むなしく思った。毎日毎日地下の食品レジで食べ物のバーコードをスキャン、スキャン 。みんな、ホントにコレ全部食うの?こんな埼玉の片田舎でこんな消費してていいの?もっとさ、控えめにさ、って思った。食いすぎ!って。徒労って言葉が頭をよぎった。こいつら、食ったら消化して排泄して、また食う気だ!エンドレスだ!っ て。でも、次第に、ああ、生きるって、そういうことだ なーって感じた。
 
ダイエットコーラを飲みながらポテトチップスを食べるのも、生きるということ。
 
カップラーメン1個に対して5本の割り箸を要求するのも、生きるということ。
 
流行りに踊らされてニガリスキムミルク買い占めるのも、生きるということ。
 
孫に買ったお菓子が孫の要望に沿っていなかったことを切なげに話ながら「今度は間違えてないわよね」って嬉しそうにお菓子買っていくのも、生きるということ。
 
全国どこでも売ってるようなお菓子を箱に積めて親戚に贈るのも、生きるということ。
 
39円の缶ジュース買って“レジ袋不用スタンプ”要求 するのも、生きるということ。
 
おつりが555円になるようにお金出すのも、生きるということ。
 
昼間からよっぱらって店員の手を握ったり壁の字をなぞったり暴れたりするのも、生きるということ。
 
おじいちゃんから学生バイトにマジ恋ラブレター出しちゃうのも、生きるということ。
 
ビルゲイツに頭の中を盗まれた」ってレジでつぶやくのも、生きるということ。
 
蕨餅が美味しかったからお友達にも買ってあげたくて「今日3回目なの」って恥ずかしげにやってくるのも、生きるということ。
 
エトセトラ。 スーパーには人生が詰まっている。

女の裸

f:id:nahoshitsu:20210924163031j:plain友達と都内の温泉に行った。スーパー銭湯の類いでリニューアル中で新しく、岩盤浴やスパや食事処も充実していた。
ティーン、が友達同士で来ている。あんまり見ては嫌な気持ちにさせてしまう、でもお尻の形の違いを目が追ってしまう。ぷりっときゅっとツヤツヤしていて、綺麗な裸って良いなと思う。
脚湯では、姿勢も顔立ちもこけしみたいなご婦人が満ち足りた様子で朗らかに話している。色黒で筋肉質なご婦人がサウナで挑むようにカッサプレートで肉を削いでいる。色んな裸の中で裸でいると、裸に美醜も何もないなとも思う。
水分補給やベンチ休憩を挟んですべてのお湯を堪能した。脱衣所に戻って私は髪を乾かして適当に化粧して、ロビーで買ったフルーツ牛乳を友達に見せびらかしながら女たちの身繕いを眺めた。
眼鏡をかけると質感が見えて生々しい。どんな美肌の人も少しの色ムラやシワはあるもので、“生き物”という感じがする。湯気の中では大差なく見えたそれぞれの裸に生活が見える(とか思いながら見てるのキモいよね…)。…鏡の前では手際よく顔が作られていく。下地で均してファンデーションで包んで墨で強めて色で生気を引き出して出来上がり。歌舞伎役者の隈取りと変わらぬ大胆さ、雛人形の色付けのような細やかさである。化粧って、こんなふうに少女を女にするのか、おばさんを女にするっと戻すのか…楽しい。
私は普段カラーメイクを一切しない。ファンデーションを塗る、眉を書く、終わり。化粧が下手なことはコンプレックスな反面、化粧が薄い自分に安心する。化粧で顔が変わってしまうのは怖い。でも違うんだな。変身しない女は美しく老いない。それは化粧している時だけではなくて、不思議と裸でいるときも不機嫌に見える。
さっきのこけしがロビーでフルーツ牛乳を飲んでいる。真っ直ぐな体に似合う軽い素材のノースリーブと、要点を抑えた薄化粧の彼女を見てなるほどねと思う。それは単純に彼女の姿にとても似合っていて、裸の時に感じた満ち足りた空気とも馴染んでいた。よく分からないけどなるほどね、分かったぞと思った。